2011.12.14 掲載
vol2
西畑 良俊さん
vol2
2回目の寄稿となりました。前回宣言したとおり、今回は、「過去」について、書いていきたいと思います。2009年4月から粟島に派遣されましたが、それまではどんな風に生きてきたのか、についてです。「教えて先輩」のコーナーにも掲載されていますので、そちらもご参照ください。
教えて先輩のリンクhttp://www.niiget.jp/weekly/index/37/
大学を卒業するまでは、「いい大学→いい会社→いい人生」という、人生のレール(過去の遺物?)があって当たり前だと思って過ごしていました。部活の片手間での就職活動でしたが、「寄らば大樹の陰」、「いい会社」に就職することだけを考えて、就職活動を行なっていたように思います。
人に惚れて入社した会社は、本当に温かい人たちに恵まれた会社でした。お陰様で、今でもその会社の方々とはお付き合いがあります。ただ、自分のやっている仕事に、「自分なりの意味」が見い出せず、悶々とした日々を過ごしていました。
お金だけたくさんあって、生き苦しい毎日に、若干心を病んだりもしながら、「こんなんじゃダメだ!自分の気持ちに正直に、自分の軸を定めて、生きていこう!」と思い、2年で会社を辞めました。
その後、軸のある生き方を求めて、NGOや、NPOで働く方に興味を持って、関わりました。また、教育を志してからも、多くの熱い先生に会いに行ったり、熱い思いを持った教員志望の学生に会いに行ったりしました。すごく熱い思いを持っている人々との出会いに、「この人、すごいなぁ!」を連発する日々。一方で、「自分とは少し違うな」という思いを拭い去れずにいました。
今振り返れば、当時の自分は、「何で世の中、こんなに生きづらいんだろう?」と自問自答ばかりしていたように思います。もちろん、原因分析も大事だとは思います。しかし、原因がわかったところで、打つ手が見いだせなければ、何も変わりません。反対に、原因がわからなくても、解決法がある場合もあります。当時はその辺がわかっておらず、原因の発見にこだわっていたように思います。
埼玉県春日部市という東京のベッドタウンとも言える土地に住み、自分の軸を探し求めたところ、前回も書きましたが、『食の自給率の問題』、『地球環境問題』にアプローチしたい自分がいることに気付けました。また、田舎の『過疎化』が大問題になっていることも知りました。「じゃあ、過疎と呼ばれる土地に行って、環境に優しい暮らしを自分がして、『こんなに楽しいですよ!』って発信できれば、それはとっても意味があることなんじゃないか」と思い、移住先を探し始めました。
そんなわけで、出会ったのが、『緑のふるさと協力隊』というプログラムで、縁あって粟島に派遣されることになりました。
思い返せば、「Why?」から「How?」へと思考を転換できたことが、今に至るきっかけになっているように思います。そして、「新しい働き方」とは、「WHY?」ではなく、「HOW?」を突き詰めて行く働き方、生き方のように感じています。続きはまた、次回。
お読みいただき、ありがとうございます!
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