2022.11.28
上越市
自分の生活を豊かにするための工夫=ライフハックとして新潟にUIターンし、地方だからこそ実現できる暮らし・多様な働き方を楽しむ「にいがたライフハッカーズ」。
今回ご紹介するにいがたライフハッカーは、上越市在住の竹内 雄介さん。静岡県浜松市にあるカタログ・マニュアルなどの制作会社にフルリモートで勤務をしながら、個人でデザイン・撮影事業を請け負い、週末は居酒屋を経営するユニークなパラレルワークを実現しています。
大好きなスノーボードをきっかけにIターンを決意し、趣味も仕事も全力で楽しむ竹内さん。「100%移住して良かった」と言い切るその理由や、田舎移住が向いていると思う人などについて詳しくお聞きしました。
1984年生まれ、静岡県浜松市出身。高校卒業後の一年間、プロスノーボーダーを目指し山に籠るが、「人との繋がりが大切」という価値観に気づき進路を変える。その後静岡県浜松市にあるカタログ・マニュアルなどの制作会社に就職。プライベートでは20歳の時にスノーボーダーコミュニティ「LRF(エルアールエフ)」を立ち上げ、イベント企画・運営だけでなくデザインや撮影、動画編集も担当。2018年10月に上越市岡沢の地域イベントへ参加し、移住を即決。2019年2月に夫婦で移住し、翌年1月にデザイン・撮影事業を行う「LRFworks(エルアールエフワークス)」を開業。現在は浜松市の制作会社にフルリモートで勤務しディレクターを勤めながら、個人事業主としても活動、さらに毎週金曜の夜は「田舎喫茶だんだんどうも」を間借りし居酒屋として営業を行っている。
新潟県上越市出身。Ichitetsu Service Inc.のセールスマネージャー。大学院卒業後にヤマハ株式会社へ入社。製品開発グループに所属し、カナダで新規生産ライン立ち上げのプロジェクトリーダーなどに従事。2020年退職後、地元へUターン。現在は妙高市で外国人投資家やホテルオーナーらのアシスタント業務を行う傍ら、写真撮影・ライティングなども行う。新潟の好きなところは「とにかく米が美味いところ」。
小川
本日はよろしくお願いいたします!実は、私もUターンする前は静岡県浜松市に3年ほど住んでいました。あと、Facebookで何人か共通の知人がいると思うのですが……(笑)
竹内
そうなのですね!今日こうしてお会いできるのも、ふしぎなご縁ですね(笑)
小川
私もそう思います(笑)
さっそくですが、竹内さんはどのような少年時代を過ごされたのですか?
竹内
とにかく運動が好きな子どもでした。
陸上・水泳・サッカーなど、さまざまなスポーツを行いましたが、小学生の時に入ったミニバスケットボールチームが楽しくて「これだ!」と思い、そこからバスケットボールに夢中になりましたね。
小川
学生時代は、ずっとバスケットボール部に所属していたのですか?
竹内
そうですね。中学校ではキャプテンを務め、高校では全国ベスト16に入るチームに所属していました。
学生時代はバスケットボールのことばかり考えていましたね。
今はスノーボードですが、当時からひとつのことにハマるととことんのめり込む性格でした。
小川
移住のきっかけにもなったスノーボードとは、どのように出会ったのでしょうか?
竹内
高校卒業後に入った社会人バスケットボールチームの先輩が連れていってくださったことがきっかけです。
初めてのスノーボード体験だったのですが意外と滑れてしまって、その日からどハマり(笑)
冬用タイヤを買ったり車にキャリアをつけたりと、すぐに装備を整え、そこからは毎シーズン、土日は欠かさずスノーボードに行っていました。
現在住んでいる新潟県の妙高エリアや岐阜県の高鷲エリアによく通っていましたね。
小川
浜松に住んでいた頃から、毎週ですか……?
竹内
そうなんです(笑)
月曜日から金曜日は普通に会社で働いて、金曜日の夜にスノーボードに行く準備をして、そのままゲレンデに出発していました。
土日はずっと滑って、疲れ切った体で日曜の夜に帰ってきて、その体で仕事に行って……と、お金も時間もいっぱいいっぱいの生活を送っていましたね。
その生活を10年間ぐらい続けていたら「これなら雪国に移住した方がいいかも?」と、ついに気づいちゃいまして(笑)
小川
やっと気づかれたんですね(笑)
それだけスノーボードがお好きなのであれば、スノーボード関係のお仕事に就いてもよさそうな気がしますが、その選択肢はなかったんですか?
竹内
当時は、仕事は仕事、趣味は趣味として切り分けたい気持ちがありました。
ですが、一方で「スノーボードに本気で取り組めば、そこから仕事が生まれてくるかも」という感覚も芽生え始めてきて。
というのも、仲間とともにスノーボードに関するイベントを毎年主催していたのですが、最初は小規模だったものが、いつの間にか何千人ものお客さんが集まってくれるようになり、静岡県で最大規模のスノーボードイベントになったんです。
そうしたら、メーカーさんやショップの方々が協賛してくれたり、浜松市も後援でついてくれたり、というようなことが起こりました。
趣味を通じた出会いから仕事に繋がることもあるんだなと気づいたきっかけになりましたね。
小川
移住のきっかけは、スノーボード以外にもあったのでしょうか?
竹内
「このままの生活を続けていてもいいのか?」という気持ちがあったからですね。移住する5年くらい前から、これから先の人生について、漠然とした不安を抱えていました。
小川
30歳前後の時期って、いろいろと考えてしまいますよね……。
ちなみに、現在住んでいる上越市中郷区岡沢を移住先に決めた理由は何だったのでしょう?
竹内
自分の中でいくつか条件を決めて、それを基準に土地探しを始めました。
1つ目は景観がいいこと。谷間ではなく、開けている土地へのこだわりがありましたね。
2つ目はインフラが整っていること。
3つ目は自然災害が比較的少ない場所であること。
4つ目が最も大切で、 “余白”があるということですね。
小川
“余白”ですか?
竹内
はい。自分が活動できる“余白”や、入り込める“余白”がある場所。
人間関係もそうなんですけど、完全にコミュニティができてしまっている場所だと、移住者はなかなか入りづらいじゃないですか。
小川
たしかに。人やマーケットが飽和していて競争が多い場所だと、余白を感じにくい気がします。
竹内
そうなんです。最後の決め手はもちろんスキー場で、ロッテアライリゾートが近くにあったことが大きかったですね。
朝も夜もすぐに滑りに行けるということで、ワクワクしかなかったです(笑)
小川
移住に関して不安はありませんでしたか?
竹内
「この土地にちゃんと溶け込めるかな?」という不安はあったので、移住前に稲刈りなどが含まれた1泊2日の移住体験型イベントに参加しました。
町内会長さんがアテンドをしてくださったのですが、それが本当に自然体で心地よい対応で。
小川
たしか、そのときに引越し先の家も決めてしまったとか?
竹内
はい、滞在2日目に家も決めました(笑)
イベントの全工程が終わった後に3軒ほど内覧させていただいて、その中の1軒が今の自宅です。
小川
即決した竹内さんもすごいと思いますが、意思表示してから3軒も内覧できる岡沢の受け入れ体制もすばらしいですよね。
竹内
そうなんです。
それと、「ここはあんまり良くないよ」と、悪いところも包み隠さず伝えてくれたのが印象的で。その真摯な対応に安心感を覚えましたね。
小川
移住してから「LRFworks」の屋号でデザインと撮影の個人事業を始めたのには、何かきっかけがあったのでしょうか?
竹内
今の時代、会社員としてのお給料だけが収入源というのはこわいな、と思ったからです。
自分は他に何ができるだろうと考えたとき、デザインや写真撮影、動画編集が浮かんできたので、それを仕事にしようと。
小川
新しい土地で、どんな風に仕事を広げていったのでしょうか?
竹内
「趣味での出会いから仕事に繋がる」という経験を持っていたので、スノーボードをしていれば仕事は見つかると確信していました。
なので、とりあえずロッテアライリゾートに毎日滑りに行っていましたね(笑)
小川
毎日ですか……!
竹内
誰よりもその場所を滑って地形やコースを熟知し、自分から案内役を名乗っていたらいろいろな人と繋がることができました。
結果、個人事業でのお客さんはほぼ全員スノーボーダーです(笑)
小川
すごい!(笑)
スノーボードを軸にしたお仕事の広がりを感じますが、竹内さんのワークスケジュールも気になります。
竹内
平日は8時間フルタイムで会社員として働いて、その前後の時間と週末に個人の仕事を入れています。
今はそんなに集客に執着することもなくゆったりとやっていますが、もし会社員の方を辞めるとしても、個人だけの活動で生きていけるように準備はしています。
小川
浜松から上越に移住して、生活面で変わったなと思うところはありますか?
竹内
先ほどお話ししたとおり、浜松にいたときは趣味に仕事にいっぱいいっぱいの生活でした。
ですが、新潟に来てからは当時の移動時間分を全てプライベートと仕事に回せるので、時間の使い方が効率的になりましたね。
またスノーボードの他に、最近はスケートとサーフィンを始めました。やっていることは横乗りでほとんど変わっていないのですが(笑)
このスケート、サーフィンでの出会いも新たな仕事に繋がっています。
生活の充実度が爆発的に上がりました。
小川
浜松から上越へのIターンを振り返ってみて、特に感じることはありますか?
竹内
浜松と上越を比べると、浜松のほうが4倍ほど人口が多いのですが、こちらの方が人口が少ないせいか、ひとりひとりにフォーカスされやすい気がします。
今回の取材もいい例ですが、誰かに掘り起こしてもらえることが増えました。
そうすると「自分って、誰かの興味をそそるようなことをしてるんだな」とモチベーションも上がりますよね。
最近、ありがたいことに、スポーツ学校の非常勤講師のご依頼もいただきました。そこではスノーボードを教えるのではなくて、趣味仕事に繋げる働き方や、過去に経験したイベントの企画や運営についてお伝えしたいと思っています。
このようなご依頼をいただけるとは思ってもみなかったので、うれしかったですね。
小川
ライフスタイルが仕事にまで発展したんですね。すばらしい!
正直、上越市の中でも岡沢はけっこう田舎な地域だと思うんですけど、田舎暮らしの良し悪しはどうでしょう?
竹内
良い部分は、近所付き合いが多くなったところですかね。3年も経つと、いろいろ誘っていただくことも増えて、最近はご近所さんから週に1回はごはんに呼んでいただいています(笑)「馴染めてきたんだなぁ」と感じますね。
小川
最近はそういったお付き合いができる地域は少ないかもしれませんね。
竹内
どんな形であっても人に認められることは心地いいことなんですよね。
畑での野菜作りや、除雪の仕方など、地域の方々にすべて教えていただきました。なにせ雪国での生活は初めてなもので、本当にありがたかったですね。
小川
雪と暮らす生活は、住んでみないとわからないですよね。
竹内
そうなんです。冬になると僕は朝一で滑りに行ってしまうので、家の前の道はある程度除雪をしてから出て行くのですが、帰ってくるともっときれいに除雪されていて、本当に感動しました。
自分は人との繋がりの中で生きていくことによろこびを感じる人間なので、今の環境は非常に居心地がいいです。
小川
そんな竹内さんにあらためて伺いますが、新潟に移住して良かったですか?
竹内
100%「良かった」と言い切れます!
まだいろいろな土地に移り住んでみたい気持ちも残ってはいますが、ここが好きで、今後も住み続けたいと思っています。
小川
良かったです!
一方で「こんな人は移住に向いていないかも……」という人がいれば、ぜひ教えてほしいのですが。
竹内
個人的な意見ですが、自分からコミュニケーションを取らない人は向いていないかもしれませんね。
待ってばかりいるのではなく、積極的に話しかけ、自分のことを話す姿勢がないと難しそうだなと思います。
僕も既存の場所に入っていくのは大変だろうなと思っていたので、週末だけ近所のスペースをお借りして居酒屋を経営しています。
現地の人を招き入れる土俵を自分から作って、なるべく積極的にコミュニケーションを取る工夫をしていますね。
小川
居酒屋経営まで行っているとは……!たしかに、歩み寄る姿勢は大切だと感じます。
竹内
逆に、自分から積極的に関わったり、何でも挑戦できたりする人には可能性しかない気がします。
生活を変えてみたいとか、新しい仕事を始めたいとか、きっかけはなんでもいいと思いますよ。
小川
今は特に地方の若者がどんどん首都圏に流出していますが、高齢者が多い田舎でも若い人にチャンスはあると思いますか?
竹内
チャンスだらけです。田舎は若者が少ないことで、トレンドみたいなものがポロっと抜け落ちているように感じています。特にSNSやWeb関係のこと。その部分を補える人が入ってくれば、それが結果として仕事にもなりますよね。
あと田舎の人はみんな若い人と接したいと思ってくれているので、若者というだけでかなり重宝されると思います!
小川
最後に、UIターンを考えている方に向けて、何かメッセージをいただけますか?
竹内
テレワークの普及などインフラが整い、マルチな働き方ができるようになった今、地方に住み新しい生活をすることは「自分はこんなことが好きなんだ!」と自らの可能性を引き出してくれるトリガーになると思っています。
いろいろな土地に住み、人と関わり、経験を積んで選択肢を増やすことが、将来の自分のためになると信じて、私もこれからもこの地でさまざまな挑戦をしていきたいですね。
自らの生活をより豊かにするために、新潟で暮らすことを選んだ「にいがたライフハッカーズ」。そんな彼らの生活を彩る新潟のモノ・コト・ヒトについて、とっておきの「ニイガタライフハック」をお聞きしました。
移住先を決める際にも大きな判断材料になった「ロッテアライリゾート」。日本各地のスキー場を滑ってきましたが、類を見ないほど豊富な自然地形はまさに国内トップクラスのゲレンデです。
雪崩のコントロールなどの管理体制もとてもレベルが高く、「こんなところも滑って良いの!?」と思わせてくれるフィールドは、毎日滑っても常にワクワクさせてくれます。スノーボーダーとして、もう一歩上のレベルへ引き上げてくれる、そんな貴重なゲレンデです。
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