2022.10.06
新潟市
自分の生活を豊かにするための工夫=ライフハックとして新潟にUIターンし、地方だからこそ実現できる暮らし・多様な働き方を楽しむ「にいがたライフハッカーズ」。
今回ご紹介するにいがたライフハッカーは、木村 愛子さんと、一緒に会社を経営する夫の正幸さん。子育てをきっかけに地元新潟へのUターンを決意し、システム開発を行う「株式会社Pepo(ぺポ)」を起業。
ローコード開発ソフト「FileMaker(ファイルメーカー)」を武器に、さまざまな企業にマッチした業務システム開発を手掛ける一方で、子育てにも奮闘するお二人。
大学卒業まで教育者を目指していた愛子さんはなぜIT企業の創業者になったのか。そして、東京で生まれ育った正幸さんはどのような心境で新潟への移住を決意したのか。それぞれの思いを聞いてみました。
1984年生まれ、新潟市西蒲区(旧巻町)出身。千葉大学教育学部への進学を機に上京。大学卒業後に就職した都内ベンチャー企業で「FileMaker」による社内のシステム開発を経験。会社の倒産を機に、メガベンチャーの事務職に転職。2010年、前職の上司に誘われ、会社設立に参加。2012年長男出産。2017年長女出産。育児、仕事環境を変えるため、新潟でのUターン起業を視野に入れ始める。2019年に独立し、株式会社Pepo代表取締役に就任。2020年3月、家族で新潟に移住。
1984年生まれ、東京都出身。高校卒業後、保育の専門学校へ進学し、保育士免許を取得。アパレル企業で働いた後、愛子さんと同じ会社で生命保険の営業スタッフとして勤務。百貨店保険部、外資系保険会社でも営業職の経験を積む。その後、父が経営する建設会社に転職し、東京五輪に向けた大規模建設に多数関わる。新潟での起業に向け、愛子さんが勤めるIT企業で1年間営業スタッフとして勤務した後、株式会社Pepo専務取締役に就任。新潟へ移住。
新潟市江南区出身のフリーエディター/ライター。大学卒業後、ラジオ局でフリーペーパーを制作し、編集の仕事と広告ディレクションを学ぶ。2015年、雑誌『新潟Komachi』編集部に所属した後、フリーランスへ。フリーペーパー、雑誌、WEBの企画制作・取材・原稿作成・校正を担う。三児の母。趣味はバイク。新潟の好きなところは「おいしいものがたくさんあるところ。日常の景色がきれいなところ。人が優しくてあったかいところ」。
マツナガ
本日はよろしくお願いします!愛子さんは巻のご出身なんですね。
木村(愛)さん
高校まで巻で暮らしていました。大学は今と真逆の文系で、教育学部に通っていました。幼稚園の先生になるために大学に進学したんです。実は、幼稚園と小学校の教員免許を持っているんですよ。
マツナガ
これまで文系だった愛子さんが、どうして進路を変えたのか気になります。
木村(愛)さん
卒論を書くためのゼミが幼児発達心理学専攻だったので、文系だけどデータを取得して、実験をして、統計を取って、その上で論文を書くという作業がありました。わりとロジカルなことをやっていたんですよね。
その時に、「こっちの方が好きだな」と感じて。それまでパソコンやエクセルを使うことって全然なかったんですけどね。卒論を書く中で、私は単純に「子どもが好きなんだ」ってことに気が付いて、仕事にするのは少し違うかなと考えるようになったんです。
マツナガ
大きな決断をされたんですね。就職活動の時、抵抗はなかったですか?
木村(愛)さん
教員試験の時期と民間企業の就職活動の時期って全然違うこともあってすっごく悩みました。結局、教員試験は受けませんでした。私だけでしたよ、幼稚園教員養成科から民間企業へ就職したのは(笑)。他のみんなは全員先生になりましたから。
マツナガ
現在はご結婚されていますが、正幸さんとはいつ出会ったのですか?
木村(愛)さん
大学を卒業して、新卒で入った会社で出会いました。夫も保育士の免許を持っているんですよ。お互い教育と全然関係のない会社なのに(笑)。
マツナガ
正幸さんも保育士を目指していたんですね!
木村(正)さん
私の場合は高卒ですぐ専門学校に進学して免許を取りました。でも就職したのは生命保険の代理店。主にテレアポで営業をかけていくようなところです。バリバリの営業の会社ですよ。
マツナガ
そこで愛子さんはシステム開発に携わっていたんですね。
木村(愛)さん
そうですそうです。半年くらい私も営業をやっていた頃がありました。でも向いてなくって(笑)。「辞めようかな」と思った時に、会社役員で同じ学校を出た方がいて。バックオフィスの仕事の統括をしている方だったので、「うちの部署においで」と声をかけてもらったんです。
そこから、コールセンターの事務員をやりつつ、たまたま会社のシステムをつくるようになって。ちょっとしたメンテナンスもさせてもらえるようになり、プログラミングのおもしろさを知りました。
でもその後、実は3年目で会社が倒産しちゃったんですよね……。
マツナガ
なんと……!
木村(愛)さん
すごい経験ですよね(笑)。
木村(正)さん
今思えば、いい経験だったんじゃない?
マツナガ
Uターンしようと思ったのはいつ頃ですか?
木村(愛)さん
子どもを産んでからですね。2012年に長男、2017年に長女を出産しました。東京で暮らし始めてから、けっこう後のことなんです。
マツナガ
移住を真剣に考えるようになったのはいつ頃ですか?
木村(愛)さん
2018年末くらいです。夫の仕事でも転機があって。結婚のタイミングで保険代理店から義父の経営する建設会社に転職していたんですが、仕事をもらっていた会社が廃業することになってしまって。
木村(正)さん
社長が年配だったこともあり、「そろそろ店を畳む」って言いだして。その時はちょうど東京五輪で、建設ラッシュもピーク。仕事自体はたくさんありましたが、建設業では個人事業主が受けられる仕事に上限がありましたし、オリンピック需要がなくなった後はどうしようかという迷いもありました。
そのタイミングで妻が「新潟で起業したい」と相談してくれたので、私もリアルに新潟での暮らしを考えるようになりましたね。
マツナガ
移住に抵抗はなかったですか?
木村(正)さん
それまで東京を出たことはなかったですが、何の抵抗もなかったですよ。
木村(愛)さん
私は東京での子育てが大変だったので、「新潟に帰りたいな」と思うことがよくありました。でも、夫の仕事が東京じゃないとできない内容だったのですぐには移住できなくて。現場が海底トンネルとか、首都高とか。下北沢の線路を地下に埋める作業なんかもありました。
木村(正)さん
その頃は月曜から土曜まで、昼も夜も働く環境で、日曜しか休みがなく……。ずっと家族との時間を作れなかったんですよね。
木村(愛)さん
東京にいたころは、完全に私のワンオペだったもんね。
そんな状況もあって、連休になるとすぐ新幹線に飛び乗って、新潟に行っていたんです。
マツナガ
起業する決め手となったのはなんですか?
木村(愛)さん
最初は会社の新潟支社をつくれないだろうかと思っていたんです。娘の育休期間中には情報収集を進めていて、三条へ視察に行ったこともありました。三条でサテライトオフィスの誘致をしていて、会社を通して視察に行かせてもらったんです。会社員として新潟に行くか、ギリギリまで考えていましたが、会社の社長とも相談して、独立することにしました。
マツナガ
起業された株式会社Pepoではお客様の業務をシステムの力で支援していると伺いました。
特に会社の強みになっている「FileMaker」ってどんなものなのでしょうか?
木村(愛)さん
「FileMaker」はAppleが提供しているデータベースソフトです。プログラミング言語の学習経験がなくても、オリジナルのアプリを開発することができます。
医療福祉、製造業、飲食店、お寺などなどお客様の業種は色々ですが、私たちはお客様の業務のヒアリングをして、顧客管理や受発注管理など、必要な機能を「FileMaker」でカスタマイズして提供しています。
製品化された管理システムではカバーできない、企業独自の業務フローに対応することができることが強みです。
木村(正)さん
名前や住所、電話番号のような基本情報と、家族構成・年齢・保険など、営業する上で必要な情報は非常に多いです。
加えて企業様が取り扱っている商品の種類や金額、新商品のように、複雑化しがちな会社のシステムを分かりやすく、スムーズにすることが私たちの仕事です。
マツナガ
Uターン起業に対して、新潟の家族はどんな反応でしたか?
木村(愛)さん
私の実家も自営業なんですが、「都落ちだ」と言われて(笑)。おばあちゃんには「すってんてんで帰ってくるんか」って驚かれました。
マツナガ
喜んでくれたのかと思いきや、意外ですね(笑)。移住が決まってから、お子さんに伝えたことはありますか?
木村(正)さん
子どもにアドバイスすることはなかったですけど、子どもの変化に気がつくことができるように目を配っていました。僕が今まで建設の仕事をしていて学校に関われる時間が全くなかったので、新潟に来て新しい学校に通うようになってからは小学校のボランティア活動にも参加して、息子や同じ学年の子たちと過ごすようにしています。
移住をきっかけに、子どもや地域の人々と関わる時間を増やすようにしているんです。
マツナガ
新潟に来て良かったと感じた瞬間はありますか?
木村(愛)さん
車で移動するようになって、毎朝のストレスが解消されました。今までは子どもを保育園に送り迎えするのも本当に大変で。待機児童も多かったので、自転車で子どもたちを別々の保育園に送っていました。パソコン片手に子どもを送迎するのはなかなか辛いものがありましたね……。
木村(正)さん
少し移動するだけで何でもあるのは便利だよね。東京での生活と比べると、人にイライラすることがなくなったような気がするかな。
マツナガ
Uターンを振り返ってみて感じることはありますか?
木村(愛)さん
帰ってきて良かったと心から思います。あのまま東京で働き続けていたら、どんな人生を過ごしていたのか想像もつきません。一人では起業できなかったはずですから、夫の存在は大きいです。
マツナガ
これからUターン移住を考えている人に伝えたいことはありますか?
木村(愛)さん
いろんな人に会うこと、そして事前の準備はやるに越したことはありません。あらかじめ人脈づくりをしたり、情報収集をしたり。悩んだ時に相談できる相手を作っておくのも大切です。
マツナガ
愛子さんは悩んだ時、どんな方に相談されますか?
木村(愛)さん
東京にいた頃から新潟市の創業支援拠点「スナップ新潟」、「新潟市産業振興財団(IPC)」にオンラインで参加していてWEB会議で相談していました。東京にいながら新潟での起業相談ができたのは大きいです。
スナップ新潟には女性起業家も多くいます。交流会があって、同じような境遇の方と悩みを共有できるので心強いです。起業すると孤独な時もあって、なかなか悩みを相談出来る人がいなかったんですよね。他の人にアウトプットができると自分を奮い立たせることもできて、モチベーションを保つのにもいいですね。
あとは商工会の青年部にも入っています。
マツナガ
いろんなところに所属していますね。
木村(愛)さん
頼れる相手をたくさんつくれるようにいつも意識しています。
木村(正)さん
新潟の方は新しいものを受け入れにくい地域性があるかもしれませんが、受け入れてもらえるととにかく優しい。最初の1年目は「お客さま感」が強かったですが、今では同じ方向を向いているような気がします。
マツナガ
今後の展望としてイメージしていることはありますか?
木村(愛)さん
会社を大きくしたいです。5年くらいで10人規模にはしたい。だから今が仕事の頑張り時なんです。
2023年にもう一人社員が増える予定があるんですが、これまで採用してきたようにママさんではなく、介護世代の男性を採用しました。私たちの持っていない人脈や経験・知識を持っている方なので、一緒に組織を大きく成長できたらと期待しています。
マツナガ
楽しみですね。子育てについてもお聞きしても良いですか?
木村(愛)さん
子どもたちの進学のタイミングで働き方を調整しなければいけない時がくるだろうと今から感じていて。小学生になると宿題を見てあげなきゃいけない、丸付けも親がやらなければいけないと、大変ですから。子どもへのケアが必要になった時に対応できる仕事の体制を作るようにしていきたいです。
マツナガ
愛子さんのライフスタイルには、常に変化がありますね。
木村(愛)さん
結婚する前はしょっちゅう引越しをしていたくらい、変化を好む性格なんです(笑)。今は家を購入したので住環境を変えることは簡単にはできませんが、仕事の環境は少しずつ変えていけるようにチャレンジし続けたいです。
自らの生活をより豊かにするために、新潟で暮らすことを選んだ「にいがたライフハッカーズ」。そんな彼らの生活を彩る新潟のモノ・コト・ヒトについて、とっておきの「ニイガタライフハック」をお聞きしました。
ちょっと移動すれば公園があって、海も、山もある。時間ができると自然の中で遊ぶことが多いです。この間は「三条凧合戦」を見てきました。東京で暮らしていた頃は子どもたちが水浴びをすることすらできなかったので、住環境は一番大きな変化です。子どもを友達同士で公園に行かせることができるのも、新潟だからできること。
新潟は地域の人との関わり合いが多くて、安心できるのがいいですね。
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