2015.12.18 掲載
vol4
知野孝子さん
新潟市在住
vol4
1967年生まれ、新潟市出身。祖母、両親は飲食業を経営。幼いころから芸妓さんの着物やしぐさ、三味線の音色、宴会の音と匂い、板場のにぎやかさに囲まれて育つ。高校から東京に行きたかったが、途中下車した群馬県前橋市に30年間定住。不動産会社の企画室に配属、商業施設の開発や店舗企画、運営、販売促進などの業務に携わる。その後、婚活を目的に新潟へUターンをするものの、“まちづくり”に開眼。古町花街の会 事務局長を務めるほか、古町花街ぶらり酒・千社札めぐりコーディネーター、新潟中心商店街協同組合のタウンマネージャーを経て、現在、古町花街コミュニティインフォメーションのマネージャーとして、まちなか活性化に奮闘中。
いろいろなお店が集まった“商店街”の活動には、町内会や振興組合、まち全体を考える協同組合などが存在し、まちの活性化や防犯防災、美化などに取り組んでおりますが、その役割や内容を知らない商店主の方々も多くなっています。それは、商店主がそこに居住していない人が多かったり、活動している時間帯や年代がまちまちであったり、それぞれのまちに対する想いに温度差があることなどが考えられます。しかし、このまちをなんとかしたい!と商店主達が自分達で汗をかきながら“古町花街ぶらり酒”(にぎわい事業)を行ったことで、来街者を増やすことや個店を磨くこと以外に効果があったことがあります。
1つは横の繋がりができ、今まで挨拶をする事がなかった商店主同士が、どこのお店の○○さん、と顔の見える関係づくりが出来たことです。若い商店主も“朝方までお店をやっているので、なかなかお手伝いは出来ないけど、出来ることはやります!”“やって欲しいことを教えてください”“会長が一生懸命やっているから、イベントに参加する事しか協力できない”など、あたたかい言葉も頂くようになりました。
2つ目は町内会などの納涼祭にも参加するようになり、家族の顔まで見えるお付き合いが出来るようになりました。子供に、ぶらり酒の活動を一生懸命やっている人達だよ。という紹介には、胸が熱くなりました。次の世代へ繋がっていく…そんな瞬間だったと思います。まちの活動に、子ども達が関われる仕組みも大切な要素だと思います。
3つ目は2町内の振興組合と一緒に行う新しいイベントを行いました。新旧のお店同士が繋がり協力し合うことで、町内で一緒に行うことの課題や発見ができたことも次へのステップになると思っています。
古きを守り、新しきを知る。いろいろな想いが重なり合うまちの歴史…人の話しを聞かないがんこ親父が居て、それを温かく見守る女将が居て…また新しい風が入り繋がっていく…
今、そんな新しい風は“古町花街ぶらり酒”としてあらたに『人』との繋がりを再構築しはじめたのではないかと思っています。
いままで“古町花街ぶらり酒&千社札めぐり”の活動を行って来ましたが、イベント活動だけではなく、もっとまち全体の在り方に目を向けよう!という新たな動きに変わってきました。ここ古町8・9番町の“魅力”や“宝物”ってなんだろう?と、もっと深く考えるようになりました。戦前から残された木造建築物や日本文化を受け継ぐ古町芸妓、その歴史を支え続けている日本食文化など多岐にわたりますが、その“魅力”や“宝物”に気づいていない人達も多くいるのではないか…。その“宝物”を磨いて行くこと、継承していくこと、発信していくことが必要だと実行委員会の中で話し合いが行われています。現在は、各専門分野での活動が活発に行われており、お互いが共有できていない部分や知らないことなどがたくさんありますが、色々な団体や他地域の人、多世代が話し合える“場”をつくり、みんなが共感できる物や事を『宝物』として、喜びや楽しさ、苦しさも分かち合っていけるようになれたらと思っています。
このまちの人が主役となり、こんなまちにしたい!と声を出し合い、共有すること。流れ作業ではなく、何のためにこれを行っているのか・・・活動の指針となる『まちの未来ビジョン』を共有し、進めていけたらと思っています。
私がこの活動を通して感じることは、このまちの『人』『応援してくださる方々』も宝物だという事です。この宝物がこのまちを支えている。そして、宝物が輝き続けていけるように…お手伝いできたらと思っています。
私がなぜ新潟に戻ってきたのか・・・
今一度良く考えてみました。自分が育った賑やかな時代とは違い、とても閑散としている古町を見て悲しく思っていました。当初は、群馬と行き来しながら、まちづくりの活動をお手伝いしていましたが、何か古町に恩返しが出来たらとの想いから積極的に古町に関わるようになり、以前のような活気ある古町を取り戻すためにはどうしたらいいのか?何が出来るのか…と考えていたところに、古町で一緒にまちなか活性化の活動をしないか。という声を頂いたのが、新潟に戻るきっかけになりました。
Uターンを考えている人達は、この先どうしたらいいのか?今までの生活と180度変わってしまう不安や受け入れてくれるのか心配になることもあると思います。私がそうでした。しかし、始めから今の場所があったわけではありません。分からないけど飛び込み、きちんと想いを伝え、行動することで伝わること。その土地を想う気持ち、自分達の故郷を守っていく郷土愛がお互いの基本にあるから気持ちが伝わっていく…。
きっと、それを受け入れてくれる場所は必ずあると思いますので、自分の想いを大切に育んでほしいと思います。
私がかなえたい暮らしとは、自分の心で感じた答え・・・なのかな...
感謝 知野孝子 拝
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