2023.02.20
自分の生活を豊かにするための工夫=ライフハックとして新潟にUIターンし、地方だからこそ実現できる暮らし・多様な働き方を楽しむ「にいがたライフハッカーズ」。
今回ご紹介するにいがたライフハッカーは、建築家であり、まちづくりやエリアマネジメントも担う大沢 雄城さん。現在は、自身でリノベーションした新潟市内の一軒家で家族と暮らしながらオフィスを構えつつ横浜の建築事務所にも籍を置き、2拠点居住の生活を送っています。
「すでにあるものから新しい価値をつくることに可能性を感じる」という言葉の通り、空き物件のリノベーションや 公共空間の利活用から、立体駐車場の屋上を活用したイベント「8BAN EVENING MARKET」の開催など、地域資源を活かしたプロジェクトが印象的な大沢さん。2拠点居住にいたる背景やお仕事のこと、多拠点を視野に入れた今後の展望までお話を聞きました。
1989年新潟生まれ、新潟県新潟市出身。横浜国立大学 工学部建設学科 建築学コースを卒業後、横浜の建築設計事務所・オンデザインパートナーズに就職。建築の設計だけでなく、まちづくりやエリアマネジメントなどの都市戦略の立案・実行に取り組むほか、コミュニティマネジメントなども手掛ける。2021年に新潟市中央区にある古民家をリノベーションし、2拠点居住を開始。現在は同社に勤めて横浜と新潟を行き来しながら、新潟では個人の建築家 としても活動。新潟市古町の人気イベント「8BAN EVENING MARKET」のプロジェクトメンバー。
新潟県魚沼市出身。東京の大学を卒業後は、新潟の出版社で編集者となるべくUターン。地域情報誌の編集を約4年務めた後、新潟のグループ企業の広報室へ転職。2020年からは現職のITベンチャーで、自社オウンドメディアの運営をはじめ、情報発信全般を担当している。昔から、出会ったことのない街や人に興味深々。新潟の好きなところは「温かくて粋なお店が多い&FUJIROCKがあるところ」。
たかはし
今回の取材地である大沢さんのご自宅は、自身でリノベーションを手掛けていらっしゃるのですよね!移住当初から計画されていたのでしょうか?
大沢さん
元々は賃貸の一軒家を探していました。横浜ではマンション暮らしだったので、新潟では一軒家に住みたいねと妻と話をしていたのですが、貸家ではいい物件に出会えず、途中で心が折れかけまして(笑)。
でも同時に、家探しで同じような悩みにぶつかってUターンや2拠点生活に二の足を踏む人がいるのではないかと思ったんです。そこで、せっかくなら自分たちがモデルケースになれたらと、空き家を購入してリノベーションする方向にシフトしました。
今回の移住を一つのプロジェクトにしてしまおう、と。
たかはし
大沢さんのInstagram(https://www.instagram.com/osawa_opdo/)を拝見するとリノベーション前後の様子がリアルに紹介されていて、イメージがしやすいです!空き家対策にもつながり、地域にやさしい選択ですね。
大沢さん
僕自身、すでにあるものを使って新しい価値観をつくることに可能性を感じていて、仕事では空きビルのリノベーションなどをしていたので、自分の家でも試してみようと思いました。
条件を空き家に変えたら家探しの幅が広がり、この築45年の物件に偶然出会えまして。
新潟市の中心部でどこへ行くにもアクセスが良く、昔から好きなエリアだったので迷いなく購入。憧れだったロングテーブルは、友人を呼んでホームパーティーをしたり、仕事の打ち合わせに使ったりといろんなシーンで活躍してくれています。
たかはし
大沢さんは今も、横浜と新潟の2拠点居住を送られているのですか?
大沢さん
そうですね。最近は新潟にいる時間が増えましたが、一ヶ月のうち一週間ほど横浜の家に滞在することもあります。横浜の大学を卒業してから、建築設計事務所オンデザインパートナーズに勤めていて、今は案件によって新潟と横浜を行き来しています。
たかはし
どんな背景から、新潟にも拠点を置こうと思われたのでしょう?
大沢さん
2018年に二人目の子どもが生まれた時がきっかけでした。この時に僕も育休をとって、半年くらい横浜の自宅でリモートワークをしていました。やってみたら結構快適で、事務所に行かずともミーティングはオンラインで完結しますし、「これなら、どこに住んでも働けるな」と思いました。
勤務先の建築事務所は、ただ建築を設計するだけでなく新しいライフスタイルの提案も行っているため、社員の働き方についても柔軟に受け入れてくれる雰囲気で。この先もずっと都心部で暮らしていくイメージを持てなかったこともあり、新潟に住むことを考えました。
とはいえ新潟を離れてブランクがあり、人や街の雰囲気がわからないので、まずは僕だけ“お試し2拠点”を始めたんです。横浜を本拠地に、2、3ヶ月のうち一週間は新潟に滞在してリモートワークをするという生活を約2年間送りました。新潟にいる時は、関屋浜にあるコワーキングスペース「Sea Point NIIGATA(シーポイント ニイガタ)」に通って。
そこでは今もいっしょに仕事をしたり、遊んだりする大切な仲間と出会うことができたので、“お試し2拠点”は本当にやってよかったと思いますね。
たかはし
建築家と聞くと建物を設計するイメージがあるのですが、大沢さんの活動を拝見するとまちづくりやコミュニティの創造など、より広範囲に渡っているように感じます。どのようなきっかけから、こうした仕事へとつながったのでしょう?
大沢さん
大学では建築の勉強をしていたんですが、雑誌や音楽、映画にも興味があってWebマガジンの編集部でインターンをしたり、映像制作をしたりと興味のあることに熱中していました。建築家ではなく、編集者を目指そうと思っていた時期もあったくらいです。
そんな大学在学中の2011年3月に東日本大震災が発生。当時僕が4年生だった同年7月に、先輩から「いっしょに支援に行こう」とお声がけいただき、現地で記録映像も撮ってほしいと頼まれました。
そのときに出会ったのが「Ishinomaki 2.0」という石巻のプロジェクト。「震災前の街に戻そう」ではなく「新しい未来へバージョンアップしよう」と有志が集まって起きたプロジェクトでした。例年どおりのお祭りができなくても、津波で漂流したものでお神輿を作って掲げたり、空き地をライブ会場にして、ビルの壁面で野外シアターを作ったりするなど、とにかく自分たちの手で自分たちの街をおもしろくしようという熱気に満ちていたんです。
その情景をカメラで記録しながら、心が大きく揺さぶられる感覚があって。「僕がやりたいのはこれだ」と思いました。
実はこの「Ishinomaki 2.0」に現職のオンデザインパートナーズも関わっていたことがご縁となり、建築という入り口から、街やカルチャーの編集に携わりたいと考え、卒業後に入社させていただくことになりました。
たかはし
学生時代の運命的な出会いが今につながっているんですね。就職後は、どんなお仕事を担当されていたのですか?
大沢さん
ありがたいことに、やりたかったまちづくり系のお仕事を担当させていただきました。
単に空間をしつらえるのではなく、「どんな人が集まる空間にしようか」「そのためにはこういう設計にすると良さそうだね」と、川上の部分からいっしょにプロジェクトを進めていきます。
担当させていただいた、横浜DeNAベイスターズが仕掛けるまちづくり「THE BAYSとコミュニティボールパーク化構想」では、地域の人の日常にスポーツが溶け込んだ空間を作るため、ビジョン作りから業態開発まで幅広く行いました。
空間作りだけでなく、行政や街と連携しながら公園や道路といったオープンスペースの活用までを、今も継続して取り組んでいます。
たかはし
まさに、建築を軸にしながら街を編集しているように感じられます!2拠点居住を始めてからは、新潟県内の活動も増えていらっしゃいますよね。
大沢さん
“お試し2拠点”のときに出会ったご縁が広がり、お仕事の相談をいただくようになりましたね。あとは、自宅をリノベーションした時に内覧会を行ったのですが、そこに来てくれた方から「こういうこともお願いできますか?」と依頼をいただいたこともあります。
オンデザインパートナーズにはGoogleに倣って始めた20%ルールという制度があって、1日の業務の20%は自分の好きな仕事(自由研究)をしていいことになっていて。
週5日1日8時間勤務だとすると、一週間で8時間。僕はその時間を使って、個人名義で新潟のプロジェクトを請け負ったりしています。
たかはし
とても素敵な制度ですね。大沢さんといえば、新潟のまちづくり関連のプロジェクトをSNSで拝見します。
大沢さん
移住当初は横浜の仕事が中心だったのですが、この半年は新潟の仕事がほぼ100%です。
オンデザインパートナーズ の新潟オフィスとして受注する案件も増え、新潟市内では道路や公共空間の利活用のお仕事を手伝わせてもらったりしています。
横浜でも同様のプロジェクトをやっていたので、そのノウハウを地元で活かせるのはうれしいですね。
たかはし
大沢さんは、古町の立体駐車場の屋上で行うイベント「8BAN EVENING MARKET」のメンバーとしても活躍されていますよね。
大沢さん
「8BAN EVENING MARKET」のメンバーも“お試し2拠点”の頃から関わっていて、街中の立体駐車場を活かしておもしろいことをやってみようと始めたんです。静岡県の浜松市で似たようなイベントを知っていて、新潟でもやってみようよ、と。
今ではイベントの認知も増え、8BANメンバーで古町にシェアオフィスを借りて、プロジェクトとして徐々に拡大しています。
たかはし
2拠点居住を始めて約2年が経とうとしていますが、実際に行ってみていかがですか?
大沢さん
僕自身が同じ場所にじっとしていられないタイプなので、2拠点を行き来する過ごし方はいいリフレッシュになっていますね。知識やノウハウ、コミュニティが固まらない方が居心地が良いんです。
例えば横浜で得たノウハウを新潟にインストールできたり、新潟のコミュニティで得た知識を横浜に持っていったりとメリットが大きいように感じています。
たかはし
横浜と新潟で、仕事を行う際に違いなどを感じることもあるのでしょうか?
大沢さん
どちらもチームでプロジェクトを進めていくというあり方は変わらないのですが、少し感覚が違っているのがおもしろいところです。
横浜では、それぞれの専門家であるクリエイターを集めてチームを組んで進めていくイメージ。新潟では顔の見える距離感のプロたちとチームを作ることが多く、コミュニティ感があってこれもまた楽しくて。
両方の魅力をバランス良く感じながら仕事ができています。
たかはし
2拠点居住を考えているけれど、実行するまでに壁を感じている方もいらっしゃると思います。そんな方にアドバイスがあればお願いします!
大沢さん
「移住」と聞くと骨を埋める覚悟とか、すべてを変えてゼロから……みたいな重たさがあるかもしれないんですが、2拠点や多拠点という考え方なら旅行感覚で軽やかに移住が実現できるんじゃないかと思っていて。
僕自身、2拠点居住を始めてからは横浜での経験や交流を保存したまま、新潟で新しい仕事や人に巡り合えたので、ゼロどころかより豊かになりました。
あとは、障壁となりがちなのが住まいの問題。移住に際して「家は35年ローンで、一生の買い物です」なんて言われると覚悟が必要ですが、僕のようなリノベーションという選択肢もあります。僕の家は“10年ハウス”と呼んでいて、10年住めば賃貸と比較しても採算が取れるように計算してあるんです。
家を一生の買い物にしないという選択肢があってもいい。気軽に住まいを持てるという発想も届けていきたいと思っていますね。
たかはし
最後に、今後のライフスタイルの展望があれば教えてください!
大沢さん
本音を言うと、これからもっと拠点を増やしたいと思っていて。3拠点目、4拠点目……死ぬまでに10拠点なんて妄想中です(笑)。ある場所ではシェアハウス、ある場所ではホテル暮らしでもいいし、どういう関わり方があるのかは今後も実践しながら考えたいです。
最近は新潟でも選択肢の広がりを感じていて、Flags Niigataさんと進めていた妙高市のホテル「ロッテアライリゾート」内のワーケーションオフィスも先日完成しました。
僕自身の仕事と私生活の両面から、気軽な多拠点ライフスタイルをシェアして、今後同じような仲間を増やしていけたらうれしいです。
自らの生活をより豊かにするために、新潟で暮らすことを選んだ「にいがたライフハッカーズ」。そんな彼らの生活を彩る新潟のモノ・コト・ヒトについて、とっておきの「ニイガタライフハック」をお聞きしました。
住まいも古町の近くで、散歩感覚でフラッと遊びに行けるのがお気に入りです。
自分自身「8BAN EVENING MARKET」というイベントを古町で企画 していますし、好きな飲み屋さんもたくさんある。街中に漂う雰囲気が好きですね。約束して飲みに行くのは普通のことだけど、古町を歩いていると誰かとばったり会って、そのまま居酒屋へ ……なんてこともあったり(笑)。
ゆるさと刺激のちょうど良いバランスを楽しめるのが、街で暮らす醍醐味です。
このページをSNSで共有する