2022.12.26
佐渡市
自分の生活を豊かにするための工夫=ライフハックとして新潟にUIターンし、地方だからこそ実現できる暮らし・多様な働き方を楽しむ「にいがたライフハッカーズ」。
今回ご紹介するにいがたライフハッカーは、佐渡移住2年目、佐渡市地域おこし協力隊として活躍している新潟県旧白根市(現:新潟市南区)出身の棚村 麗乃さん。
語学・デザインを勉強するためにマレーシアへと留学し、新型コロナウイルス感染症が広がり始めた2020年に帰国。リフレッシュ旅行のため訪れた佐渡に魅了されて、翌年に移住。「佐渡はこれから『来る』においがします」と語る棚村さんから、移住のきっかけや今後の展望、佐渡でのライフハックをお聞きしました。
1996年生まれ、新潟県旧白根市(現・新潟市南区)出身。18歳まで新潟県で暮らし、高校卒業後はマレーシアへ留学。新型コロナウイルス感染症拡大にともない、海外でロックダウンを経験。2020年に帰国。リフレッシュのため偶然訪れた佐渡での人との出会いや海の美しさに感動し、移住を決意する。広報や地域に携わる仕事への興味から地域おこし協力隊制度に申し込み、現在にいたる。協力隊としての活動のほか、副業マッチングサービスや地方企業のプロモーション支援事業などを展開する「株式会社Riparia」にて、ローカルパートナーとして業務に従事。現在の目標は「いつか佐渡や新潟の魅力をマレーシアに伝える仕事をすること」。
兵庫県出身。2014年、佐渡にある花の百名山「ドンデン山」を目がけて初旅行。すっかり魅了されその年に佐渡へ引越し、佐渡市地域おこし協力隊で空き家・移住者対応を担当。現在は佐渡移住の窓口である「佐渡UIターンサポートセンター」で移住コーディネーターとして勤務。好きなことはボードゲームとお酒、カラオケ。最近はK-POPにはまって友人とDVD鑑賞会をするのが楽しみ。新潟の好きなところは「お酒が美味しいところ」。
熊野
棚村さん、今日はよろしくお願いします!協力隊の研修などを通してよくお会いしますが、あらためて経歴を知って、ポジティブで前向きな人だなぁと感じています。
棚村
あらためてとなると、恥ずかしいですね。
熊野
本日はいろいろお聞かせください。
さて、棚村さんは高校卒業後マレーシアへ留学されたそうですね。10代でそんな決断をされたなんて、とても勇気がある方というか冒険家だな、と思います。留学先としてマレーシアを選んだのには、なにか理由があったのでしょうか?
棚村
広告代理店の営業をしていた父の影響です。仕事でマレーシアに携わることが多かったらしく、いろいろな話を聞かせてくれました。家族旅行で訪れたことも何度かあり、幼少期から私にとって身近な外国でした。父の方から「いつかマレーシアに留学してみたら?」と言われたこともありましたね。
高校生になり、卒業後の進路を考える際、当初は国内の大学を目指そうと思っていたのですが、どこかに心残りがあって。
自分の中にあった「マレーシアでデザインを学びたい」という気持ちが大きくなっていることに気づき、願書提出を取りやめて両親に留学の意志を伝えました。
熊野
当時は高校3年生ですよね。18歳の大きな決断をご両親は心配しなかったのですか?
棚村
母は心配していましたね。両親は新婚旅行で東南アジアを訪れたようなのですが、そのときの発展途上国の印象が強かったらしく……。「大丈夫なの?」と。「留学したら?」と言っていた父も、いざ本気となると驚いていました。
そんな両親を説得して留学に行ったのですが、マレーシアでいきいきと生活している私の様子を見て、卒業のころになると母は「そのままマレーシアで働けば?」と背中を押してくれるようになっていました。父は帰国を望んでいたようですが(笑)
熊野
棚村さんが大学を卒業された2020年といえば、世界中で新型コロナウイルス感染症が広がりはじめたころでしょうか。
棚村
そうなんです。マレーシアでロックダウンを経験しました。当時は非常に厳しい外出制限があり、不要な外出をすると身分証の提示を求められ逮捕されることも……。マレーシアの会社から内定をもらっていたのですが、このまま残っても先行きがわからなかったので、一旦帰国しようと2020年4月にノープランで新潟に帰ってきました。
そんな中、コロナ禍でもなにか行動しようと、LINEで新潟県下のテイクアウト対応店を検索できる仕組みを作ったんです。これをきっかけにいろいろな方と出会って刺激をもらい、新潟をもっと外の人に知ってもらいたいという気持ちが強くなりました。
熊野
2020年4月に帰国して、2021年5月に佐渡へ移住されますよね。その1年の間にどんなことがあったのですか?
棚村
帰国後も「いずれはマレーシアに戻りたい」という気持ちがあったので、就職はせず小学校のスクールスタッフとしてアルバイトをしていました。ただ、アクティブな性格上、新潟県内でじっとしていることに閉塞感を感じていて(笑)。どこかへリフレッシュ旅行に行きたいなと思っていたんです。
仕事柄、コロナ禍での移動制限があり県外へは行けなかったので、県内でも「旅感」が味わえる粟島旅行を計画しました。
しかし、訪れたかった粟島の宿がコロナ禍で休業されていて、それならば、と佐渡に行くことにしたんです。実は佐渡が第一希望の旅先ではなかったのですが、まさか移住することになるなんて!(笑)
熊野
佐渡に導かれたんですね(笑)
棚村
まさにそうですね(笑)
はじめての佐渡旅行は2020年9月の連休でしたが、人との出会いが印象的な、非常に濃い旅になりました。例えば、ご自身も移住者であるゲストハウスのオーナーさんから、観光の側面ではない佐渡についてのお話を聞けたことはとてもよかったです。
私が軽く言った「佐渡に引っ越してきちゃおうかな」というひとことに対して、「いくら佐渡が好きでも、ここに来て何をしたいか、明確なビジョンがないと移住はおすすめしない。自ら仕事を作るか、持ってくることができるならおいで」とアドバイスをいただきました。
その後、真剣に佐渡移住を考えるようになった際、この言葉はずいぶん意識しましたね。
また、居酒屋に行ったら昼間訪れたアクティビティを提供している企業の方と偶然居合わせ、そこの常連さんたちを交えて楽しくお酒を飲んだりもしました。そのとき、常連さんとの会話の中で、「島外の人から見て、佐渡にはなにが足りないと思う?」という質問も受け、オープンで「さまざまなことを吸収したい!」という前のめりな気持ちを感じました。コロナ禍でも閉塞感を感じず、いきいきと暮らしている佐渡の方々の姿に、強く惹かれましたね。
熊野
私もはじめての佐渡旅行で似たような経験をしたので、共感しまくりです (笑)
棚村
「新潟にある佐渡」という位置付けではなく、「佐渡がある新潟」になりえる島だなと感じましたね。
その後、新潟市に戻り人に会うたびに「佐渡がすごくよかった」という話をすると、実は佐渡出身、自分も佐渡好きなど、佐渡の話をする人たちにたくさん出会いました。その中のひとりに「そんなに佐渡が好きなら、地域おこし協力隊という制度があるよ」と教えてもらい、協力隊制度に申し込むことを決めました。
現在所属している株式会社Ripariaが佐渡進出を予定していたのもこのころで、いろいろなご縁が重なりましたね。
熊野
佐渡にはじめて訪れたのが2020年9月で、2021年5月には移住されていたんですね!
初めて訪れた土地に、1年も経たずに移住。すばらしいスピード感ですね。
棚村
そうなんです。2020年11月にあらためて友人と佐渡へ旅行に行ったのですが、残念ながら友人はあまり佐渡にはまらなかったようで(笑)
それでも私の気持ちは変わらず、完全に佐渡に魅了されていましたね。
熊野
地域おこし協力隊では、どのような活動をされているのでしょうか?
棚村
現在は主にイベント運営などに携わっています。お盆の時期には、佐渡のクラフトビールや地元の飲食店が出店するビアフェスタを開催しました。会場は両津港からほど近い「あいぽーと佐渡」、来場者は約5,000人と、島内では大きなイベントです。
このイベントでは、出店交渉・調整や広報用のポスター作成・配布、SNSやWEBの更新、当日の運営統括などを行いました。開催期間が1週間という大規模なイベントでしたが、天候にも恵まれ、出店者の皆さまのおかげで滞りなく最終日を迎えることができ、大きな達成感を得られました。
地域からのニーズや、改善点なども改めて知ることができたので、学びもたくさんあったイベントでしたね。
熊野
実際、活動をしてみていかがですか?
棚村
活動して1年半が経ちますが、難しさとやりがいの両方を感じています。まず難しさの方ですが、各種イベントの広報・集客面ですね。
中でも、島内のイベント情報がまとまって見られる媒体がないことが課題だと感じています。島内各地で週末に行われるイベントもそれぞれがバラバラに告知している状況なので、それが集客の難しさに繋がっているのではないかと思っています。
熊野
なるほど。反対に、どのような部分にやりがいを感じますか?
棚村
一生懸命に活動を行っている中で、私の頑張りを見て手を差し伸べてくれる人に出会ったときですね。
広報や集客に苦労しているとき「協力するよ」と手を貸してくれる方が現れたり、「あれ、この間新聞に載ってた人だね、頑張ってね」と見ず知らずの方からもエールをいただいたり。イベントに関しては運営という立場なので表に立つことは少ないのですが、裏方を評価してくれる人が多いのはとてもうれしいです。
熊野
棚村さんは協力隊としての活動だけでなく、「株式会社Riparia」にてローカルパートナーという立場でも活躍されていますよね。Ripariaではどんな業務を担当されているのでしょうか?
棚村
Ripariaでは主にWebコンテンツの制作に関わっています。佐渡で活躍している人を取材し記事にしたり、新潟・佐渡の人の魅力を発信したりしています。佐渡にはおもしろいアイデアを持った活動的な人が集まってきているので、その人たちの情報を発信することで「佐渡っていいかも」と思ってもらえるとうれしいですね。
熊野
協力隊の活動と両立はできているのでしょうか?
棚村
正直、はじめはとても大変でした。1年目は協力隊の仕事量も把握しておらず、Ripariaは完全フルリモートでペース配分もお互いが手探りだったので、急に両方忙しくなったりするなど、調整がむずかしい部分がありました。
今は、Ripariaのメンバーに協力隊の仕事状況や予定をこまめに共有しますし、メンバーとの関係性も構築されてきたので、かなりペースが掴めるようになりましたね。
熊野
振り返ってみて、佐渡への移住はご自身にとってよかったと思いますか?
棚村
よかったと思っていますし、とても楽しんでいます。元々あまり人生設計を考えないタイプというか……。辛いことが重なっても「次のステップへ進むための試練なんだ」と考えるタイプなのもあって、失敗だとは感じることはありません。
今までの経験を振り返っても、あとになってからわかることがたくさんありました。佐渡に来てから、つらいことも大変なこともありますが、それ以上に楽しいことがあるし、大変なこともいずれ自分の強みになっていくと思っています。
熊野
今後の夢や展望はありますか?
棚村
自分がプレイヤーであり続けるのではなくて、頑張っている人を応援する側に回りたいです。
広報やPRの面で裏方として支援したり、誰かの夢を応援したりするのが今の私の夢であり、やりたいことです。
熊野
佐渡や新潟の魅力をマレーシアでも広めたいとおっしゃっていましたよね!
棚村
はい!大きな目標にはなりますが、いずれは、マレーシアの方々に新潟や佐渡の魅力を広めるような活動をしていきたいと思っています。
ただ、その目標を実現するためには、まずは新潟県内の方々に佐渡の魅力を知っていただくことが先だと思っています。修学旅行でしか佐渡に訪れたことがないという方も多いと聞きますので。
また最近、私と同年代の方々が佐渡に来られることが増えているように感じます。私が感じた佐渡の良さを、等身大で発信することで、特に同世代の方々に響いてくれるとうれしいですね。
熊野
最後に、UIターンを考えている方にアドバイスをいただけますか?
棚村
佐渡は自分を見つめ直すことができる島だと思います。余白がある島というか。いい意味でゆっくりした島なので、自分を見つめ直す時間を作れていなかった人は、一度休憩する気持ちで訪れてみるといいかもしれません。
最近は企業誘致に力を入れていて、起業する人も身近にいます。会いたいと思う人がいたらすぐにつながりを持てますし、何かやってみたいことがある人には合う島だと思いますよ。
自分で何かを始めたいと思っていない人でも、佐渡の自然や人など、何かしら自分とマッチしていると思うところがあれば、とても住みやすい島だと思います。
また、いわゆる「島国根性」と呼ばれる性質はあまりなく、外の方も受け入れる広い器を持った島だと感じています。それくらい人の出入りのある、ちょうどいい大きさの島です。
まずは一度、佐渡に訪れ、その雰囲気を肌で感じてみてください!
熊野
棚村さん、今日はありがとうございました。ぜひいっしょに佐渡を盛り上げていきましょう!
自らの生活をより豊かにするために、新潟で暮らすことを選んだ「にいがたライフハッカーズ」。そんな彼らの生活を彩る新潟のモノ・コト・ヒトについて、とっておきの「ニイガタライフハック」をお聞きしました。
佐渡の海は透明度が高くて、本当にきれいです。時間のあるときは海岸沿いをドライブするのですが、トロピカルな音楽をかけているとまるで外国にいるような気分になりますよ。
もうひとつおすすめしたいのは日本酒です。有名な酒造も多くあり、吞兵衛にはたまらない島ですね(笑)。
このページをSNSで共有する