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H29.2 新潟県U・Iターン総合サイト「にいがた暮らし」リニューアルオープン!
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教えて先輩! 第123回

初めての土地で、人に支えられ子育て生活と仕事を両立

2017.09.11 掲載

フリー広報兼フリーライター

野澤知子さん

新潟市在住

1983年、青森市生まれ。仙台の大学卒業後、東京で人材、ITベンチャー、大手グルメサイト運営会社で主に企業広報に従事。2014年に社内結婚し退職、2015年に第一子を出産。同年に夫の転勤先である新潟市に転居する。

初めての土地、初めての子育てに悪戦苦闘するが、周りのサポートに助けられる。
翌年4月に個人事業主として独立開業し、新潟県内のネットベンチャーを中心にフリー広報兼フリーライターとして働き始める。
2017年1月に第二子を出産し、現在は共働きをしながら2歳と0歳の育児に奮闘中。

マグロの集団にいるみたいだった東京時代、そして結婚※条件つき

“女の人生を変えるのは、いつだってシゴトか、オトコ”
東京でこんなキャッチコピーを見かけたのはもう何年前のことか。女性向けの中吊り求人広告で、20代半ば、深夜の満員電車でした。

私は「絶対にありえない」と抗う気持ちになりました。なぜなら東北出身の私にとって《東京》は、24時間高速で泳ぎ続けられる “クロマグロ”のような強靭な人にしか生きられない場所だと思い込んでいたからです。「はやく自立した人間にならなくては」と、とにかく必死だった会社員時代、なんだかつらくて泣いて帰った深夜0時過ぎ。結局いっつも「がんばりどき!」でした。でも、あのガムシャラな経験が今の私を支えていることは事実です。

そんな私も2014年3月に社内結婚。5つも年下でしたが共に高め合ってゆけるベストパートナーに出会うことができました。ただ、その結婚は「仕事を辞めて新潟転勤について行く」という条件つき。

プロポーズされた時、その場では“Yes”と答えたものの、「私の人生もやっぱり男の人で変わってしまうんだ。頑張ってきた仕事はどうなるんだろう…」と内心落ち込みました。

こうして私も中吊りの『キャッチコピーの女』になったのです。
それでもいい、と思えたのは“あの人(=夫)”だったから。

事前情報は“お酒と田んぼ”のみ。新潟暮らしのスタート

産前、ひとり上越新幹線に乗りこれから新生活が始まる新潟を訪れました。電波が途絶えた長い長いトンネルの先にあるのは…お酒と田んぼ?これ以外の事前情報がありませんでした。

「私にとって思い出も愛着もないこの土地で暮らしていけるのだろうか」
なんだか遠い遠いところに来てしまった気がして悲しくなり、眺めたのはやっぱり黄金色の、田んぼ。2014年秋。引っ越す前から「早く夫の任期を終えて東京に戻りたい」とばかり願っていました。

正式に新潟市中央区に引っ越してきたのは里帰り出産を終えた2015年の4月です。仕事・土地勘・友達・実家の家族すべて手放し、ないないだらけの私にあったのは、「お幸せに」のお手紙と“新しい家族”だけ。右も左も分からない新天地で冷たい海風に吹かれながら生後3〜4ヶ月の娘を抱き、ひたすら歩いてスーパー、ドラッグストア、病院、銀行などの生活インフラを開拓しました。

産後うつ寸前の私を救ってくれたのは“人”

新潟に来ていちばんこたえたのは「不安と孤独」でした。新潟に来たばかりの頃は生後三ヶ月の娘と二人ぼっち。ひとりぼっちではないのですが、孤独を埋めてもらうには娘はあまりにも小さく泣いてばかりの“宇宙人”。寝食もままならない初めての育児にすっかり参ってしまって、今思えば“産後うつ”寸前だったかもしれません。早朝出勤、深夜帰宅の夫とまともに会話できるのは週末だけ。そんな悶々とする私を救ってくれたのは、義実家、ママ友、地域コミュニティでした。夫がカバーしきれない部分をすべて補ってくれました。

新潟市西蒲区に住む義理の姉が1年先輩ママということもあり、リアルタイムで育児情報を教えてくれて本当に助かりました。義姉の紹介で通いはじめた子育て支援センターでは、転勤で新潟に来た新米ママさんがわんさかいて“転勤ママ友”ができました。同じ頃にママ友に教えてもらった『ゆりかご学級』という行政の育児支援プログラムに参加してみました。娘が生後半年の頃です。同じ月齢の子供をもつママさん達とともに公民館に集まった1ヶ月の講座では知識面でも精神面でも大きな収穫がありました。同期とは娘が2歳半になった今も定期的に集まっています。知識と仲間がいれば“ワンオペ育児”でも突破できることがたくさんあるので、これはおすすめです!「行き詰まって自分で笑えないなら周囲の人に笑わせてもらえばいいんだ!」と、肩の力が抜けました。

「東京でも同じように親切にしてもらえただろうか…」
娘のおかげもありますが、人のあたたかさは新潟市の魅力のひとつだと思います。赤ちゃん連れに優しく声をかけてくれる地元の方々のおかげで心がとても軽くなりました。余裕がなかった東京での生活を思い出すと、新潟で育児をスタートできて良かったと思います。

新潟市「ゆりかご学級」へのリンク

住んでみてわかった暮らしやすさ。

『移住』と聞いて思い浮かべる場所はどこでしょうか?
物価、気候、自然、食、人…なにを優先するかはそれぞれですが、“ちょうどいい場所”を探しているなら私は新潟市に一票。転勤という完全に受け身からスタートした私が言うので7割くらいは信じてもらって大丈夫です。

たとえば私が住んでいる新潟市中央区は、病院、大手スーパー、ドラッグストア、銀行、各ブランドが揃う「万代シティ」、信濃川沿いのお花見ランニングスポット「やすらぎ堤」もすべて徒歩圏内。車を15分も走らせれば大型ショッピングモール、野菜の直売所、農家レストラン、美術館、科学館、水族館…「自然」以外にもいろいろあるのが新潟市。

新潟駅から東京駅までは新幹線で最短で1時間37分です。これは小さな子どもを連れて仕事や帰省で東京に帰る際にたいへん助かっています。20~30分ほど電波が途切れるのが玉にキズですが。絵に描いたような田舎に移住するのは抵抗があるという方には、新潟市は“なにかとちょうどいい”のでオススメです。都市機能が整い商圏も大きいため、大手企業の転勤先に新潟市が多いのも納得できます。


「食」の点で言うと、米に負けず劣らず新潟の農業は枝豆やナスを筆頭に品種、生産量などで全国トップレベルです。新潟市に住みはじめてから農家レストランや直売所で驚くほど新鮮で美味しい野菜や魚、肉を味わいました。「このレベルのランチを東京で食べるとなれば3000円はするね…」と夫とよく話しています。二人の娘は新潟産コシヒカリで育っているのでお米が大好き!食材が良ければ子供の好き嫌いもなくなるのでは?と感じています。

ただ、「気候」だけは…太平洋側の方が来たら戸惑うかもしれません。冬場はやっぱり曇りの日が多いです。しかし「カラッと晴れた空が恋しいなあ」と思いつつも、夏から秋にかけてのベストシーズンには心が洗われます。美しい日本海、山、川、豊かな田園風景と、地元民じゃなくてもホッとする地域の祭り。それにあちこちで開催されるイベントのほとんどが“子連れ大歓迎”です。最近では新潟市内から中越地方、上越地方の異なる特色をもつエリアに足を伸ばして新潟県の魅力を開拓するのが楽しみのひとつです。

都会暮らしに少し疲れていた私にとって、新潟市という土地は“ユートピア”でした。ちょっと大げさかもしれませんが、遠出した帰り道、夕陽に照らされぐっすり眠る子供たちの寝顔を見てそう感じます。

こんなに暮らしやすいのに、なぜかその魅力があまり県外に知られていません。
これは自給自足できるがゆえに、外向けのPRにあまり必死にならない県民性もあるのでしょうか。そして私は現在、フリーランス広報、フリーライターとしてそんな新潟の魅力を少しでもたくさん発信するお手伝いをさせていただいています。

独立開業という選択。ゼロ地点からのスタート

私が個人事業主(フリーランス)になった理由は、自分の経験を活かせる求人に出会えなかったためです。子供がいて、また転勤の可能性があるとなれば望む仕事どころかアルバイトすら受からなかったかもしれません。そこで私は、「どうせゼロ地点なら、人に喜ばれて、かつ自分の経験と強みを活かせることを仕事にしよう!」と考えました。それが企業広報とライターです。

東京では“広報”という職種への理解が深まり地位向上の傾向にあるようですが、地方都市においてはまだ潜在的だと感じています。そのため、広報1本で開業するのはリスクがあると感じ、場所にとらわれずにできるライター業も同時に始めました。大変ありがたいことに、開業してから一度も営業をすることなく、すべて紹介や過去の人脈でお仕事をすることができています。

企業広報も思わぬご縁からまたキャリアがつながりました。これは同じ境遇で新潟に移住したママ友からの紹介なのですが、子育て支援センターで出会った彼女もまたフリーのWEBデザイナーとして引く手あまたに活躍しています。

なかでも大きな転機となったのは、新潟市西区にあるITベンチャー企業で、広報業務と並行して地域密着型のWEBマガジンの立ち上げからライティングまで関わらせていただけたことです。このWEBマガジン『新潟永住計画』は、移住者である創業者たちの“よそ者目線”をうまく活かして新潟の魅力を切り取る新感覚WEBマガジンです。例えば、新潟市内の居酒屋の女性スタッフにフォーカスした『噂の看板娘』や、還暦の美人女将を通じて酒蔵の魅力に迫る『酒蔵探訪』の連載など、ほかにはない切り口で取材してきました。今ではUIターン、地元出身者もふくめ多数のライターで構成されています。

このご縁は、ハローワークでいくら探しても出会えなかったものです。まずは外に出て出会いを増やし、「自分はこれがしたい!」と勇気を出して発信しつづけることが大切だと実感しました。100%満たされる生活はどこにいても手に入れがたいですが、ここなら「子供がいても、経験を活かして、働きたい」と思えばそれが叶う場所だと思っています。しかも、新潟市はこれだけ都市機能が整っているにもかかわらず物価が安めで、東京のように高い家賃に月給の多くを払ったり、東京ほど待機児童問題や学童問題で悩んだりせずに済んでいます。

『新潟永住計画』へのリンク

米しか無いと思っていたのに、きっと涙を流す理由

夏の夕方に夫とドライブしながら眺めた田んぼには、GWに植えた稲穂がコウベを垂れはじめていました。西蒲区の海沿いから新潟市内へ戻る途中です。夕陽が沈む日本海側ですごす穏やかなひとときは何にもかえがたい。都会からのゲストを誇らしげに海辺のワイナリーやスパにアテンドする私は、すっかり“新潟のひと”。できるなら1ヶ月ほど住み、その豊かさを体感して欲しい、とすら。
クライアントが運営する通販・ギフトサイト『新潟直送計画』のキャッチコピーで私のお気に入りは『米しかないと思うなよ!』です。彼らは新潟には『米しかないと思ってた』東京からの移住者です。

Iターンは多くのことを手放し、新たに開拓することなので簡単ではないけれど、これまでこだわりしがみついてきた価値観から徐々に開放され、新たな価値観を受け入れ、満たされてゆく心地よさは初めての経験でした。

以前、耳にした『新潟の二泣き、三泣き』という言葉が印象的でたまに思い出します。
『新潟に転勤で来た人は3度涙を流します。
一度目は、“新潟に来てしまった”と辛くて、
二度目は、人のあたたかさに感動して、
三度目は、離れがたくて涙を流すのです』

もし夫の辞令が出たら…私はこの地で出会った大切な人たちと、美しい日本海、黄金色の田園風景を想って、きっと“3度目の涙”を流すのだと思います。

『新潟直送計画』へのリンク

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