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ニイガタビト

パタンナーが山暮らしでみつけた『もんぺ』の夢

2020.08.07 掲載

もんぺ製作所代表・パタンナー

赤木 美名子さん

上越市

\赤木さんってこんなひと/
◎出身など 岡山県出身、夫の転職に伴って上越市吉川区にIターン
◎移住時期 2013年6月
◎経歴   パタンナーとして大手ファッションメーカー勤務の後、フリーランスとして独立(東京都)→新潟県に移住し、米農家とフリーランスのパタンナー・もんぺ製作所(上越市)
※パタンナーとは?・・・デザインをもとに型紙(=パターン)をおこす仕事
◎家族構成 本人・夫・娘
◎にいがた暮らしのおすすめポイント
お休みの日は畑仕事をしたり、山に登ったりと集落の周辺で過ごしています。こんな場所で子どもを育てられるありがたさを日々感じられるのが中山間地域の暮らしです。

服の着心地を設計する面白さに魅了され、パタンナーの道へ

 岡山県出身の赤木美名子さんは服好きが高じて、東京の文化服装学院に進学。在学中に学んだ人体の構造とパターンを関連付ける『服装解剖学』で、デザインではなく服の着心地や機能性を設計するパターンの面白さを知り、パタンナーの道へと進みました。
 卒業後は大手ファッションメーカーに就職し、百貨店やコレクションブランドのパターンを担当。その後、「テレビや舞台の衣装などの衣装製作に携わりたい」と、2004年にフリーランスのパタンナーとして独立。「好きを仕事に」を体現するかのように服飾の幅広い分野に携わってきました。

夫の夢のため、新潟への移住を決意

 ファッション業界の第一線で活躍していた美名子さんが縁もゆかりもなかった上越市に移住したのは2013年のこと。きっかけは 夫からの「日本酒をつくりたい…」という言葉でした。夫の幹典さんは商社に勤めていましたが、人生の折返しとなる40歳を目前にして、これからの生き方について考えていたそう。そんな時に、産地交流イベントで上越市吉川区の『よしかわ杜氏の郷』で酒づくり体験に参加。そこで、自然の循環の中で商品をつくる地域の営みに心を掴まれたそうです。
 「好きなことをして生きたことがないと言っていた夫が『ここで米と酒をつくりたい』と言ったんです。私は今まで好きな仕事をしてきたから、今度は夫の番。一緒に米づくりをしようと自然に思えました」。パタンナーの仕事はデザイナーとの細かな打ち合わせが欠かせないため、東京から離れたらできないだろうと廃業を決意したそうです。

上越市吉川区で「農ある暮らし」をスタート!

 上越市吉川区を最初に訪れた後も、夫婦で何度か通ううちに移住への気持ちが固まっていきました。そして、幹典さんが酒蔵で蔵人として採用されると、2013年4月に幹典さんがまず引っ越し、美名子さんは東京の仕事が落ち着いてから6月に移住しました。住まいとして選んだのは吉川区の大賀(おおが)という4世帯の小さな集落。ただ、空き家がなかったため一時的に市営住宅に住みながら家を新築しました。その際には高床式や、雪下ろししやすい屋根、薪ストーブを設置し、冬でも雪に困らずあたたかい暮らしができるようにこだわりました。移住後すぐに子どもを授かったので、米づくりは移住翌年からスタート。農業をしながら、梅干しづくりや、漬物、味噌仕込みなども家族みんなでする、念願の農ある暮らしが始まりました。

パタンナーと米農家の二足のわらじ

 一度は廃業を決めたパタンナーの仕事でしたが、周りから「農業とは別に現金収入は必要。手に職があるなら続けたほうが良い」と言われたこともあり、新潟でもフリーパタンナーを続ける道を探すことに。仕事は主にデザイナーから発注されるため、デザイナーとの信頼関係や相性が大切です。業界で長年キャリアを積んできた美名子さんには、たとえ遠隔になっても仕事を頼みたいと言ってくれるデザイナーがたくさんいました。「東京に打ち合わせに行かなくとも『あなたなら写真 やオンライン会議のやり取りでも進められるから』と声をかけてくれる人たちがいて嬉しかったです。当時は今ほど一般的ではないですがSkypeなどのオンラインツールもあり、思った以上にスムーズに仕事ができました」。
 米農家との二足のわらじもプラスに働いたと言います。「山の中の静かな環境は深く集中できますし、四季の移ろいに感性を刺激されます。また、農作業で汗をかくことは気分転換になります。ここに来たことはパタンナーとしてもすごく良かったと思えました」。

新潟らしさが詰まった綿素材『亀田縞』との出会い

 2018年、新潟市の亀田郷の綿織物『亀田縞(かめだじま)』との出会いが美名子さんの転機となりました。もともと自分の農作業用にもんぺをはいていましたが、着ているうちに「もっとはきやすく、使いやすくできるのに」と、パタンナー魂に火が付きました。せっかくなら新潟の素材で作ろうと思い、出会合ったのが『亀田縞』でした。稲作をする農民が作り出したと言われる亀田縞は、水と泥に強く丈夫。また、独自の縞模様と素朴な風合いが特徴です。「亀田縞を見て、多くを語らない姿が“雪国らしいな”って思いました。色使いも控えめで、素朴だけれど美しく、丁寧につくられているところが、土地に根ざして生まれた織物なのだと感じました」。試しに亀田縞でオリジナルの『もんぺ』を作成。「思った以上に色気があった」という完成品をSNSにあげると大きな反響がありました。
 実は、幹典さんが自分たちで育てた米で酒を仕込む姿を見て「地域の素材を使って、商品づくりをするのって美しいな」と感じていた美名子さんは、亀田縞でのもんぺ作りが山の小さな商いになるのではと動き出しました。

先人の想いに触れ、パタンナーのスキルを地域のために

 とは言え、自分でブランドをつくることはフリーで仕事をすることに比べリスクがあります。そんな時に美名子さんの背中を押した出来事のひとつが、一度は途絶えた亀田縞を復活させた中営機業㈲の三代目社長 ・中林照雄 さんとの会話でした。「なんで亀田縞を復活させたんですか?と聞いたら『生きるためにだよ』 っておっしゃられたんです。当時は海外に生産拠点が移り地域の繊維産業が衰退していた頃。苦境の中、郷土資料館に残された亀田縞の生地を見て『これだ。これが俺の生きる道だと思った』って。その話を聞いて涙が止まらなくて。上越に来て、ここの人が生きるためにつくった棚田や、生きるための自然との関わり方を美しいと思うようになりました。亀田縞も沼地の農地で生きるためにつくられた生地。その生地を復活させて地場産業をつなげようとした姿勢に共感して、自分もこの生地を使って何かできないかと思っちゃったんです」。
 移住して農業を始め、子どもを育て、自分の価値観が変わってきたことで、流行の最先端を追い、シーズンが終わるとまた次の流行へ…というファッション業界の構造に寂しさも覚えていたという美名子さん。改めて自分がこの土地でできることがないか考え、亀田縞でもんぺを作って売りたいという気持ちが固まっていきました。

オール新潟のもんぺづくり

 こうして始まったのが、亀田縞を使ったもんぺを製作・販売する「もんぺ製作所」。染め、織り、加工まで一連の工程すべてを新潟の企業が担当しています。「新潟は全国的にも珍しく繊維産業がまだ残っている地域だと思います。担い手がいるからこそ、私もやってみようと思えました」。生地を縫い合わせる縫製は「山で収入を得る手段のひとつにしてもらえたら」と上越市の山間部に住む人に頼んでいます。縫い子は現在2名。山の中で農ある暮らしを楽しむ価値観の近い仲間です。
 ファッション業界では、新しいものをたくさん作って、一気に売るのが一般的。しかし、在庫も生じるし、お客様の身体にピタッと合う服はなかなかありません。例えあってもシーズンが終わればモデルチェンジしてしまいます。もんぺ製作所はそうではなく、先に注文をもらい、その人の体型、好みのテイストや、身につけるシーンに合わせて作ります。だからこそ、お客様一人ひとりからしっかりと話を聞きます。「気に入ったら一生買い足して着続けてもらえるような『変わらない、いいもの』を提供していきたいと思っています。もんぺ製作所の売り方だとまるでお客様がデザイナー。実際に着る人と直接やり取りするから感想もダイレクト。距離がすごく近くなって楽しいです」。

山の営みを続けていくために

 美名子さんは2020年6月に「山のなかの試着室」をオープンしました。名前の通り、山道を登り、棚田や木々を見ながらようやく辿り着く場所です。山奥にお店をつくったのは、山の自然を感じてほしいから。そんな場所でも、市内外からお客様が訪ねてきます。完成品発送の連絡をすると、「取りに行きたいから、行くわよ」ともんぺを受け取るためだけに山奥まで来てくれたことも。「話を聞くと、道中の田んぼの景色が好きでもう一度訪れたいと思ってくれていたみたいなんです。嬉しいですね」。
 移住して7年。お子さんも今は小学生となり、美名子さんは地域の将来にも思いを馳せます。「娘が将来大きくなったときに、『何もないね』といってほしくないんです。山から生まれるものはたくさんあります。それを証明するのは私たちの役目。自分たちから動けば何でも作れることを子どもに見せていけたらと思っています」。
 もんぺ製作所は走り出したばかり。無理のない範囲で少しずつ受注を増やして、山の仕事づくりや亀田縞の普及をしていきたいと考えています。この先、ずっと地域が続いてけるように、仕事と暮らしを楽しみながら、一歩ずつ活動を続けていきます。

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