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新潟で夢にチャレンジ 第100回

旅する若き養蜂家 【前編】
- 自然と暮らしをミツバチと共につなぐ -

2017.06.14 掲載

前編

はちみつ草野・代表、養蜂家

草野竜也さん

新潟市在住

前編

「養蜂家(ようほうか)」という言葉を聞いたことが有りますか?養蜂とはミツバチを飼育し、はちみつを採取する仕事のことです。

時期ごとに咲く花を求めて、ミツバチと一緒に各地を転々とする養蜂家。1986年生まれの草野竜也さんは生まれ故郷で、2011年から一人で養蜂の仕事をはじめました。こだわりの純国産非加熱生はちみつは、県内だけでなく首都圏でもファンを広げています。

一般的にはあまり馴染みのない養蜂になぜチャレンジしようと思ったのか?これまでの道のりをお伺いしました。

ロボットに憧れ大学進学したものの…

 草野さんは温泉地として有名な岩室村(現:新潟市西蒲区)生まれ。父は土木工事業を行う会社の経営者。祖父は兼業農家でした。昔から勉強ができたという草野さんは県内有数の進学校である新潟高校に進学。「当時、この辺りから新潟高校へ進学する人は少なかったので、頭のいい子と思われていたのではないでしょうか」

 自然豊かな地域で育ちましたが、当時は農業や自然に興味があった訳ではありませんでした。進路に選んだのは、高校生の時に雑誌で読んで興味を持っていたロボット工学。今で言うドローンのようなロボットに関心があり、ロボット技術研究センターを持っていた千葉工業大学に進学しました。情報工学を専攻し、好きな分野を学べる環境に飛び込んだはずだったのですが…

 「興味が続いたのは2年くらいで、この分野に情熱を持てなくなってしまったんです…」
大学の先輩達の多くはシステムエンジニア(以下、SE)として就職。このまま大学にいると、自分は普通にSEになるという将来が見えた時に、ふと、足が止まってしまいました。
 そして、大学3年生の夏に「大学院の推薦も合格していたのですが…どうしても未来に希望が持てなくて」と、大学を去る決断をしたのです。

地元には戻りたくないけれど、やりたいことも見えなかった東京時代

 高校から大学まで、塾講師や家庭教師、八百屋に魚屋、家電量販店、焼き鳥屋に派遣業など、さまざまなバイトを経験していたという草野さん。在学中からSEのような裏方より、接客業など人と接する仕事のほうが楽しいと感じていたことも、大学中退を決断した一つの要因でした。
「実は、高校も推薦、大学も大学院も推薦で進学が決まっていました。所謂エスカレーター人生と言うんでしょうか。そういうものを変えたかったのかも知れません。切羽詰まった状況になれば自分は何か変わるかなって」

 とは言え、やりたいことが決まっていたわけではありません。求人サイトを見ていた際に見つけた不動産仲介業者に「今まで経験したことないから、なんとなく」就職しました。それなりに仕事の楽しさはあったものの、入社から数ヶ月で会社が倒産。地元にはまだ帰りたくなかったので、その後はアルバイトで食いつなぐ日々でした。

 そんな生活も長く続かず、2010年の3月「もう、どうしようもなくて」と岩室の実家に戻ることになりました。関東に出て5年と少し。23歳の頃でした。

実家で家業や農家のお手伝い。その中で出会った養蜂の世界

 ドロップアウトするかのように実家に戻った草野さんは、ひとまずは近隣の農業生産組合で米づくりの手伝いに出たり、冬は家業の土木工事業の手伝いをしていました。

 「この先どうしようか、実家に田畑があったので農家になるのかな…と日々悩んでいました」
 そんな時、兼業農家だった祖父が趣味でやっていた養蜂に関わるようになります。重労働だから手伝って欲しいと言われて、ミツバチの面倒を見るようになりました。祖父に会いに来た養蜂の仕事をしている人達と会うようになり、話を聞くうちに「こういう仕事があるんだ!」と興味を持ちました。祖父は趣味でしたが、仕事でやっている人たちの話を聞くうちに養蜂の楽しさと、ちゃんと稼げそうだという可能性を感じたといいます。当時は健康ブームが来ていた頃で、はちみつが売れている時期でした。また、消費者が外国産の食品への不信感を抱いていた時期でもあり、国産はちみつの希少性が注目されていました。

 「祖父が直売所に卸していた分は売れていたので、可能性を感じました。人のやっていないことが好きで、養蜂家なんて周りにいないので、これにしよう!と。30歳までならば他の仕事も再チャレンジもできるだろうし、とにかくやってみようと決断しました」

 SEになる道を捨ててから、4年後。25歳の時でした。

自然から与えられた試練。

 こうして飛び込んだ養蜂の世界。しかし、自然を相手にした仕事は初年度から上手く行くほど甘いものではありませんでした。
「私の場合は、祖父が長く養蜂をしていて人脈も広かったので、ゼロからのスタートではありませんでした。養蜂家の規模は管理する箱の数(養蜂箱)で測ります。祖父は20箱を裏山に置いているだけで100万円程度の売上がありました。それよりも規模を増やしてやれば、仕事になるかと思いミツバチと道具を買い足すことから始めました。」

 初年度はミツバチを50箱分購入。さらに道具を買い足すなどして総額約300万円の投資で祖父の「草野養蜂」を受け継ぎ事業を開始しました。今までの貯金を全てつぎ込んだと言います。
 養蜂家が売上を上げるためには2つの条件があるそう。一つは「管理する養蜂箱を増やす」こと。もう一つが「ミツバチを越冬させること」。ミツバチの数と比例してはちみつが採れるため、たくさんのミツバチを越冬させられれば、翌年はより有利な条件で仕事をはじめることができるのです。
「養蜂家にとってミツバチは資産です。新潟県の気象条件ではミツバチを越冬させることが難しいと言われています。良くてスタート時の箱数の維持。天敵や病気などもあるので、冬を超えられるように管理するのはすごく難しいことです」

 もともと勉強熱心な草野さんは、さまざまな管理手法を研究し、試していたのですが…1年目、2年目は一箱も越冬させることができず、なんとミツバチを全滅させてしまったのです。
「全然、思った通りにならなかった。当時はなんでダメなのかわからなかった。ボロボロでした」
ようやく見つけ、歩み始めた「やりたいこと」の前に、大きな壁が立ちはだかっていました。

はちみつ草野へのリンク

後編へつづく

紆余曲折を経て養蜂の道へたどり着いたものの、そこでも大きな挫折を味わった草野さん。
次回は、その大きな壁を乗り越え、養蜂家として自分なりのカタチを見出した今の姿をご紹介します。

後編は6月21(水) 更新予定です。
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