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ニイガタビト

『当たり前の生活を送る』サポートをしていきたい

2017.02.15 掲載

vol4

溶接業/芸人(芸名:縁竹縄)

高橋正芳さん

vol4

 三条市出身。高校卒業後、東京の専門学校に進学し、卒業後は音楽制作・プロダクション会社に就職。裏方として活躍していたが、ひょんなことから表舞台に立つ芸人となり、ギター一本で弾き語りを始める。芸人として、会社役員として東京で働き続けていたが、会社を続けることが苦しい状況となり、Uターンを決意。Uターン後は溶接の仕事をしながら、芸人活動を続け、お祭りなどのイベントに出演したり、高齢者の憩いの場デイサービス歌めぐりをしている。

前回は、新潟に帰ってきてからの出来事や目指していることを書かせていただきました。
最終回は、新しい仕事のことやつくりたい将来のことを書きたいと思います。

山を登って登って辿り着いたスタートライン

 前回のコラムで、ある国家資格を受験しました!と報告しましたが、つい先日受験結果が届きました。結果は…合格!!山を登って登って…頂上に広がる青空を目にしたような、「やっと着いた!」そんな達成感を味わうことができました。
 受験したのは行政書士試験。合格するまでに2年もの月日が流れましたが、やっと次の仕事のスタートラインに立つことができました。ここだけの話、不合格であったとしても、新しい仕事をしようと思ってはいたのですが(笑)。
 不合格でも新しい仕事に、と思った理由は、資格は「法律で定められた業務」を行うために必要なもので、「法律で定められた業務」以外の仕事、つまり、資格がなくてもできることが実はたくさんあるからです。このことに気付いてからは視野が広がり、資格に縛られずやっていこうと考えられるようになりました。(とはいえ、合格したおかげで家族の前でも堂々としていられます(笑)。)

法律は私たちの身近な存在

 行政書士試験は法律試験です。専門的な勉強が初めてだった私は、勉強を通して、法律は私たちの身近な存在であることを知りました。例えば、民法。私たちの日常生活で行われる売買や相続のルール、成年は20歳からetc…を定めた法律です。でも、日常生活でそういった法律を意識することは、なかなかありませんよね。法律を意識する時とは、おそらく何らかの問題を抱えた時ではないかと思います。
 いきなり当事者となり、問題を抱えた方々にとって法律はとても難しいもののように感じるのではないでしょうか。私もゼロから法律を学んだので、そういった気持ちは同じように感じてきました。
 行政書士は「まちの法律家」と言われています。みなさんにとって身近な存在である行政書士となり、どう社会に貢献していけるのか、新人として模索の日々が始まります。

歌巡りを始めることになったきっかけ

 コラム第1回で少し触れましたが、私の祖母は、20年以上にわたって寝たきり生活を送ってきました。祖母の姿を見てきたことが、デイサービスの歌巡りを始めたきっかけになりました。歌巡りで訪問する介護施設で生活されているご高齢の方々も、個人の差こそあれ、祖母と同じようにご苦労を重ねられている皆さんです。足が不自由になって、移動するのにヘルパーさんの手を借りなければならなかったり、風呂やトイレを1人ですることが難しかったり。自由に外出して遊んだり、音楽を聴きに行くことも難しかったりと、若い頃は自分の思うようにできたことが難しくなる時が人にはいつかきます。
 私はまだ体験したことはないけれど、ご高齢の方々のそんな姿を見てきて、幸せを感じられる「当たり前の生活を送ってほしい」と、歌巡りを続けてきたのでした。実は、行政書士を目指したのも、この「当たり前の生活を送ってほしい」という思いがあったからなんです。その思いを後押ししてくれる言葉が2つありました。

生活していく上で、本当は必要な知識

 後押ししてくれた1つ目の言葉は「正しい知識は身を助ける」という言葉です。家族をつくり、未来を思い浮かべた時、私には不透明な画しか思い浮かびませんでした。根が不安性なものですから、このままではダメだ!と思い、当たり前の日常を送っていくためには何が必要なのか、分野にとらわれず色々と勉強してみたのです。
 そうしたら、「これって知っていた方が、いいよな」ということをたくさん知ることができました。例えば、法律のこと、お金のこと、日本の将来予想etc…。これらは生活していく上で、本当は必要な知識だったりするんですよね。知らなかったが故に、苦労をしてしまうこともたくさんあります。逆に、知っていたおかげで、家族が安心できたり、また、まわりの人たちの助けになれることもしばしばあります。もしもっと早くに勉強していたら、20代の頃の苦労も半分で済んだかもしれません(笑)。

優しくなるためには強くならなければならない

 後押ししてくれた2つ目の言葉は「優しくなるためには強くならなければならない」です。2004年の中越地震の時、私は東京で芸人活動をスタートしたばかりでした。テレビから流れてくる惨状を見て、居ても立ってもいられず事務所の社長に「避難所に行って、音楽で励ましたい」と言いました。社長は「名の知れている人が行くならまだしも、無名のお前が行っても邪魔になるだけだ。行くなら有名になってから行け」と。社長の言うことは、本当にその通りで、ただただ悔しい思いをしたのでした。
 そして3年後の2007年、中越沖地震が発生し、新潟はまたも大きな地震に襲われました。この頃の私は、東京で「100カ所デイサービス歌巡り活動」を行っていて、ご高齢の方々や施設関係者の方々からご好評を頂いていました。そのことを知った柏崎市の友人たちから声をかけてもらい、被災地域のご高齢の方々を励ますべく3カ所の歌巡りを行いました。
 昔懐かしい「青い山脈」などを一緒に口ずさみながら涙を流す姿や、現地の方から言われた「震災後のハード面の復興は進みつつあるが、心の復興は今まさに必要なことだと思う」という言葉が印象に残りました。2つの地震は、「何の力もない自分では、助けたい人を助けることができない」と教えてくれ、自分自身の成長を感じるきっかけにもなりました。中越地震の時は、芸人として走り出した頃で実績がなく、人の役に立つことができなかったけれど、中越沖地震の時は、東京で積み重ねてきたことで「弾き語りができる芸人」という強みを持って現地入りすることができました。これは私にとって「人の役に立つことができた」という実体験になりました。

ワクワクも苦労も、それもまた面白い

 私に影響をくれた出来事や言葉をお話してきましたが、結局私は何がしたいかというと、100カ所デイサービス歌巡り活動をやっていた時と同じように「当たり前の生活を送る」サポートをしていきたいんです。そのために、「私は無力ではいたくない。強くなって家族や身近で困っている人のサポートをしていくための、『正しい知識』を身につけていきたい。」そう思い、行政書士を目指したのです。
 現在、行政書士事務所「えんたけ行政書士事務所」と芸能事務所「えんたけ芸能社」の開業にむけて準備の真最中です。37歳、新しい仕事に向かっていけるなんて、なんと幸せなことなんだろう!やりたい仕事をやって、これからの将来をつくっていく。そんな自分の姿を想像すると、ワクワクしてしまいます。でもきっと、苦労するのだろうな…特に経済面で、とも思います。けれどそれもまた、面白いではないですか。順調にいくだけではつまらないですから。
 そして、誰かの助けになり、役に立つことをしていきたいと思うし、人が幸せになっていく姿を見守りたいのです。誰かの幸せって、まわりの人までも幸せにしていくんですよね。

 このコラムを書くことは、自分にとってとても大変な作業でした。過去を振り返り、その頃の出来事や気持ち、考えなどを言葉にする。書き出した言葉と思いの相違。これがなかなかのストレスでした。でも、これまで4回のコラムを書かせていただき、そのことが経験できたことも素晴らしいことです。
 最後に、お読みいただいた皆様に感謝を申し上げて筆を置きたいと思います。

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